みなさん、こんにちは!No.9の中田凌河です。

前回、No.3伊藤選手が書いていたように、新型コロナウイルスの影響で少し期間が長引いていた新人研修が終わり、配属先が決まりました。また新たな環境の中でたくさんのことを学んでいます!

さて、さっそくですが、私の生い立ちについて紹介していきたいと思います!

前回の私の記事でも紹介したのですが、私は富山県氷見市出身です。
ハンドボールが盛んな地域なので、ハンドボールをやっている人なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
氷見市はハンドボール以外に寒ブリも有名で、脂が乗っていてとても美味しいです。
ハンドボールとブリを合わせた「ハンぎょボール」という、ご当地ゆるスポーツもあるので、ぜひ氷見市に遊びに来た際はやってみてください!(笑)

話を本題に戻して、私は小さい頃からスポーツが好きで、野球、サッカー、空手、バレーボールなど、たくさんのスポーツをしていました。小学生の時は、なかでも1番しっくりきたバレーボール1本に絞って練習に励みました。(自分の小学校に男子バレーボールチームがなく、隣の小学校まで行ってバレーボールをしていました。)
両親と姉の影響で、見よう見まねで始めたバレーボールでしたが、小学校6年生のときには、なんと富山県大会で優勝し、全国大会にも出場しました!

バレーボールの全国大会

そのまま、中学校でもバレーボールを続けようと思っていたのですが、友人に誘われて観に行った春の全国中学生ハンドボール選手権大会(春中)で、自分の通う中学校のハンドボール部がたくさんの声援の中、戦っているのを観て自分もハンドボールがしたいと思うようになりました。
最初はルールも分からなかったですし、今では身長が190cmありますが、当時はそれほど大きくありませんでした。中学3年生の頃は170cmで細身だったので、右利きながら逆サイド(右サイド)をしていたこともありました(笑)
ほとんどが中学校から始めた人ばかりだったのですが、地元の声援の力もあり、春中では3位に入賞することができました!

春中でのシュートシーン

高校は隣の市にある高岡向陵高校へ進み、仲間と共に日本一を目指しましたが、選抜・インターハイともに、その年の優勝校に当たって負けてしまい、国体は決勝で敗れ準優勝でした。

高校時代(ダルマ右横)

大学はすごく悩みましたが、恩師である大房先生の母校であり、実業団選手を多く輩出していて、日本一が目指せる日本体育大学に進学を決めました。
在学中には驚くことがおきました。みなさんもご存じかと思いますが、私が大学4年生のときに、日本代表でも活躍した宮崎大輔さんが、なんと大学3年生として入ってきました(笑)
最初はとても不安なことが多かったのですが、大輔さんは優しい人柄ですぐにチームに溶け込んでいました!フォーメーションや技術をたくさん教えていただき、とても良い経験になりました。日本一を目指した大学生活でしたが、最高成績はインカレ準優勝でした。

その後は、日本一をどうしても獲りたいという思いがあり、中学からの憧れであった大同特殊鋼に入社し、フェニックスの一員になりました。

少し長くなりましたが、出会う人に恵まれて、ここまで素晴らしいハンドボール生活を送ることができています!

最後に日本リーグ開幕まで残り2週間を切りました。新型コロナウイルスの影響でこれまでとは違ったシーズンになることが予想されますが、新人らしく全力で思い切ってプレーするので、応援よろしくお願いします!

みなさん、こんにちは!No.3の伊藤聖哉です。

新入社員研修が終わり、配属先が決まって新しい環境での活動が始まりました。
少しずつ慣れてきましたが、まだまだ奮闘中の伊藤です。

さて、【自分の生い立ち】シリーズということで、私の生い立ちについて紹介します。
前回の私の週刊フェニックスでも紹介したのですが、私は三重県の菰野町という田舎で生まれ、小、中、高を三重県で過ごしました。

菰野町では「こもしか」というニホンカモシカをモチーフにした可愛いキャラクターが地域のPRをしてくれています。TwitterやYouTubeもやっているので、ぜひ見てみてください!そしてコロナが落ち着き、三重県に行く機会があれば菰野町に足を運んでみてください。ロープウェイから観る素晴らしい景色やキャンプ場などアウトドア好きな方にオススメです!

話を本題に戻して、私は小さい頃、ハンドボールだけでなく日本拳法や陸上、ちびっ子相撲など多種多様なスポーツをする運動好きな少年でした。ちびっ子相撲では優勝したこともあります。

ちびっ子相撲(投げている方です!)

押し出しはなく、ひたすら投げて、投げての投げ技で優勝していました。優勝しても賞品はイオンの商品券だったので、全然嬉しくなかったのを覚えています。母が喜んでいましたね!(笑)

日本拳法2位で悔しい顔(左から2番目)

日本拳法では、小学生の頃はずっと2位で悔しい思いをしていました。改めて子供の頃の写真を見ると思いのほか周りの子と体格差がありますね(笑)今だったら勝てるかも……。
フェニックスのメンバーには意外と武道経験者が多くびっくりしましたが、もしかしたら武道で鍛えられた身体の使い方や体幹の強さがハンドボールに生きているのかもしれませんね。

このように小学生の頃は色々なスポーツをやっていましたが、中学生に上がると同時にハンドボールに集中しようと、他の習い事はやめました。

中学は地元の菰野中学に進み、トヨタ車体の豊田選手とともにハンドボールの練習に励みました。高校も三重県にある四日市工業高校に進み、春の選抜大会では四日市工業高校で初の全国大会入賞を果たしました。

この頃からハンドボールを選んで良かったと思うようになりましたが、全国大会で優勝したことがなかったので大学進学を決意し、日本一を目指して筑波大学へと進みました。
最終学年でインカレを優勝した時の感動は言いあらわせないほどでした。
そして、あの感動をもう一度味わいたくて大同特殊鋼に入社し、フェニックスの一員になりました!

初心を忘れず頑張ります(小学生時代)

最後に、先日、日本リーグの試合日程が発表されましたが、再び新型コロナウイルスが流行の兆しを見せており、まだまだ不安なことが多いと思います。
そんな時だからこそ、自分たちのできる最大限のプレーをして、みなさんと感動を共有したいと思いますので、これからも応援をよろしくお願いいたします。

7月29日(水)から夏季休暇に入りますので、次回の週刊フェニックスは8月18日(火)に更新予定です。

みなさん、こんにちは。
No.12の久保侑生です。

新型コロナウイルスが再び流行し始めてきました。
一人ひとり感染予防に努め、感染拡大を防いでいきましょう!

さて、今回は私自身の生い立ちについてご紹介したいと思います。

私は1988年5月24日に生まれ、大分県大分市で育ちました。
小さい頃から外で遊ぶことが大好きで、野球やサッカーなどをして、毎日暗くなるまで遊んでいました。
小学校に入ってからは、硬筆、そろばん、サッカー、空手と多くの習い事をさせてもらっていましたが、4年生の時に2つ下の妹が友人に誘われたことをきっかけに、宮崎大輔さんと同じ大分市立明野北小学校でハンドボールの競技生活をスタートしました。
当時、周りの子より身長が大きかったこともあり、入部後すぐに勧められてゴールキーパーを始めました。
小学校5年生の時には、熊本県で開催されたシドニーオリンピックのアジア予選を観に行き、ハンドボールに日本代表があることを知り、その代表選手の凄さに憧れたことを今でも覚えています。

小学生時代(1番大きい1番です!)

その後、明野中学校に入り、空手とハンドボールの両方を続けていましたが、中学1年生の夏にハンドボール一本に絞ることを決心しました。
中学3年生時は、トヨタ車体の渡部選手、ジークスター東京の新名選手と一緒に明野中学校男子ハンドボール部初の全国大会出場を果たし、全国大会デビューをしました。
中学校3年生の時には、フリースローと7mスローを打つ「2刀流ゴールキーパー」と一瞬話題になったりもしました。

空手の道着姿です(中央でトロフィーを持っています)

高校は全国的にも有名な大分国際情報高校へ進学しました。
高校では、これまでの練習量とは比較にならない一日6時間の練習や年間でも数えるほどしかない休日と、とてもハードな毎日でしたが、全国大会優勝を目標に毎日努力しました。
しかし、高校2年生のインターハイ予選では20数年振りに県予選敗退という屈辱を味わい、その後、1年間必死になって練習し、3年時のインターハイでは、3位入賞することができました。特に、準々決勝の北陸高校戦は最後の最後までどちらが勝つかわからない激闘でした。(平子選手が北陸高校のスーパー1年生として出場しており、シュートを決められた後にパフォーマンスで投げキッスされたことは今でも忘れません……)

高校時代(前列左から3番目)

大学は教員免許取得のため、勉強とハンドボールの両立を考え、筑波大学に進学しました。入学した時には、フェニックスOBの田中さんが2つ上におり、プレー面で毎日勉強することばかりで、とても成長できたと感じています。

大学時代は1年生から3年生までインカレでベスト4に入ることができましたが、4年生時は2回戦で優勝した国士館大学に敗れ、悔しい思いをしました。勉強面では必死に頑張った甲斐もあり、無事に卒業することができました。

小学校から大学まで、嬉しい思いや悔しい思い、たくさんの経験をすることができました。
そして大学卒業後の進路は、小学生の頃からの憧れであり、高校生の時から声を掛けてくれていた大同特殊鋼に決め、現在に至ります。

みなさん、いかがだったでしょうか。
ここまで私のハンドボール人生を初めて振り返りましたが、とても懐かしい気持ちになりました。あと何年現役としてプレーできるかわかりませんが、1プレー1プレーを大切にこれからも頑張っていきます。

最後になりますが、今シーズンも日本リーグの開催が決まりました。
コロナ禍で、これまでの観戦形態と違った状況での開催となることも十分予想されますが、今シーズンも変わらぬご声援をよろしくお願いします。

 
さて、2007年から始まった週刊フェニックスが今回で「600号」に到達しました!
600号を記念して、普段から応援してくださっているみなさんの中から抽選で3名の方に、フェニックスの選手全員のサイン入りTシャツをプレゼントします。
プレゼントご希望の方は、フェニックスホームページの「応援メッセージ」から「600号記念プレゼント応募」と記入いただいたうえで、メッセージを送ってください!

応募期限は7月28日(火)到着分までとさせていただきます。

なお、当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。たくさんのご応募をお待ちしています。

順位表
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