みなさん、こんにちは! No.13 池辺です。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、苦しい状況が続いていますが、引き続き感染予防や警戒を怠らず、1日でも早い終息を迎えられるように、協力し合っていきましょう!

さて、先週の東江選手から始まった、【自分の生い立ち】リレーですが、私が2番手を担当させていただきます!今までどんなハンドボール人生を送ってきたのかを書いていきます。

では、スタート!

私は1991年8月30日に生まれ、幼稚園児の頃に茨城県守谷市に引っ越してきました。
そして、入学した高野小学校でハンドボールと出会います。
私が小学1年生の時に高野小学校を拠点に活動しているスポーツ少年団守谷クラブというハンドボールチームが全国大会で優勝しました。その際に、母から「やってみれば?」と言われ、訳も分からず入団したような記憶があります。(ハッキリとしたキッカケはよく覚えていません笑)
ちなみに、地引監督も守谷クラブでハンドボールをしていたOBです!
全国トップクラスの環境でハンドボールをしていたので、学年が1つ上がる度に本格度が増していき、もっと上手くなりたいと、ハンドボールの楽しさを実感しました。

小学生時代(左から2番目が私です!)

小学校卒業後に入学した、けやき台中学校でも変わらぬ高レベルな環境で練習に打ち込むことができました!
2年生の頃には全国大会とJOCジュニアオリンピック大会で優勝して、自分たちも続こう!と結束したのを覚えています。
私たちが最上級生になった時に、春の全国中学生選手権大会の記念すべき第1回大会が開催されたのも印象深いです。結果は春、夏、JOC全て3位でしたが、ハンドボールへの情熱はさらに増していき、名門・藤代紫水高校への入学を決意します!

中学時代

藤代紫水高校の練習は非常にレベルが高く、最初は練習についていくのがやっとでした。(いや、付いていけていなかったかも笑)しかし、練習した分、自分の力になることが実感できましたし、仲間と共にやり切ることで達成感を分かち合えることを学びました。また、礼儀や人として自立するための人間力を学び、ここで過ごした3年間は自分にとっての財産となっています!「人との出会いを大切に、感謝の気持ちを忘れずに」、「苦しい時こそ頑張れ!」、これは恩師から教えていただいた言葉ですが、今でも私のモットーです。

高校時代(後列左端)

そして、文武両道を目指すために明治大学に入学しますが、授業の難しさに驚きながら単位取得のために必死で勉強しました笑
ハンドボールでも、インカレ3位を経験したり個人的にも良い成績を収めたりしていましたが、もっとハンドボールを極めたいと思い、日本リーグへの挑戦を決めました。そして、当時の末松監督からのスカウトもあり、人間として1番成長できると思った大同特殊鋼に入社を決めました!

以上が私の今までの経緯となりますが、生い立ちをまとめるのって、なかなか難しいですね笑
各カテゴリーで色々な思い出があって、まだまだ書き切れないこともありますが、これまでの経験を改めて振り返ることができたので、私としても貴重な時間となりました。
今は新型コロナの影響で以前のように思い切りハンドボールに打ち込めてはいませんが、またみなさんにフェニックスの熱いゲームをおみせできる日を楽しみにしながら、できることを精一杯やっていきます!今後も応援をよろしくお願いします!

みなさん、こんにちは!大同特殊鋼フェニックスNo.20東江です!
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための自粛期間が続き、ストレスの溜まる日々を過ごしていると思います。1日でも早く元通りの暮らしができるよう、みんなでこの状況を乗り越えていきましょう!

さて、今回の週刊フェニックスから各選手が【自分の生い立ち】をテーマに書かせていただきます。
その第1弾を飾らせていただくのが私、東江雄斗でございます。よろしくお願いします。

私は1993年7月6日に東江家の次男として生まれました。
両親がハンドボール選手だったこともあり、生後3ケ月で飛行機に乗り両親の遠征に連れていかれたそうです。(本当かどうかはわかりません笑)
幼い頃は、祖父母の家でご飯を食べて兄と楽しく過ごしたり、両親が練習する体育館に連れて行ってもらい、チームメイトの方に遊んでもらったりしていました。疲れたらコートの横でボールの弾む音やフェイントを切る音を聞きながら気持ちよく寝ていた記憶があります。(笑)

体育館にいる東江兄弟

小学校に入学すると、先に兄がハンドボール部に所属していたので私もすぐに入部したいとお願いしました。当時は4年生以上じゃないと入部できなかったみたいですが、「太輝の弟だから」という理由で特別に1年生から入部することができました!兄に大変感謝しております。(笑)
ここからハンドボール一筋かというと、実はそうではなかったんです。ハンドボール以外にもスイミングや書道、学習塾といった習い事に通っていました!
特にスイミングでは通い始めて3ケ月ほどで選手コースに昇格し、4泳法(クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ)でバリバリ泳いでいましたが、ハンドボールの練習に出られなくなるのが嫌で、それらの習い事は2年生に上がってすぐに辞めてしまいました。(笑)

そこからはハンドボール一筋で突っ走るのですが、足を捻れば骨折、シュートを打てば肋骨を骨折と、計8回も骨折しました……(笑)骨折ばかりの小中学生時代でしたが、小学生の時にはハンドボールの楽しさを、中学では両親にハンドボールの基礎や技術・戦術を学びました。
私が中学3年生の時のJOCジュニアオリンピック大会では両親はチームスタッフ、私はキャプテンとして出場し、親子で優勝の瞬間を味わいました。優勝した瞬間は監督と選手の立場ではなく、「お父さん、お母さん、やったね!!」と家族の立場で喜んだ記憶があります。

JOC優勝

高校は興南高校に進学し、1年生から試合に出させてもらい、夏のインターハイで優勝を経験しました。
高校時代の思い出は特に多いです。沖縄の夏に耐えきれず、熱中症に毎年なっていました(笑)
3年生の時のインターハイ1週間前にも熱中症で体調を崩して入院してしまい、なんとか退院はしましたが、実力を発揮できないままベスト8で敗退し、すごく悔しい思いをしました。
この悔しさを国体で晴らしてやると意気込み、山口国体で優勝し、インターハイの悔しさを晴らすことができたことは忘れられません。

そして、その後は進路のことですごく悩みました。
母や兄、高校の恩師である黒島先生の母校である日体大か、早稲田大のどちらに進学するのか、すごく悩んだ末に「大学リーグの日体大VS.早稲田大で勝利した大学に進学しよう!」と、よくわからない贅沢な決め方で、勝利した早稲田大学への進学を決めました(笑)

大学ではハンドボールはもちろん、社会というのも教わりました。
また、昔からですが私は本当に人に恵まれていたなと思います。
日頃より早稲田大学ハンドボール部を支援してくださるOBの方々や日本一、いや世界一ハンドボールに対して熱い大城章さん(現ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング監督)。魅力ある先輩方はもちろん、ライバル校や一般入試で合格してきた同期、高校では甲子園に出場しバリバリ活躍していたけど、大学からハンドボールを始め、インカレでもしっかり活躍した付属校出身の同期など、個性豊かなメンバーに出会いました。
4年生のインカレ決勝では、入学をお断りした日体大に負けてしまいましたが、ハンドボールに対して思いが強いメンバーに恵まれ、ハンドボールと私生活の両面で充実した生活を送ることができました!

充実した大学時代

そして当時フェニックスの監督だったハンドボール界のスーパースター末松誠さんから熱烈なオファーをいただき、「ここなら自分をめちゃくちゃ成長させてくれる」と思い、伝統ある大同特殊鋼に入団しました。そこで私の憧れである元韓国代表で世界のベストセブンにも選出されたペク・ウォンチョルさんの背番号20番を受け継ぎ、王座奪還に向け、日々努力しています。

以上、長々とまとまりなく自分の生い立ちについて書きましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
早くみなさまと会場でお会いし、フェニックスのハンドボールでhappyにさせたい気持ちでいっぱいです!
また会場で元気にお会いできるよう、今を頑張りましょう!!

今年度、大同特殊鋼に入社しました、新人のNo.9中田凌河(なかだ りょうが)です。
新型コロナウイルスの影響で我慢することや不安なことがたくさんあるとは思いますが、このような時期だからこそ自分を見つめ直し、目標に向かって1日1日を乗り越えていきましょう!

さて、今回初めての週刊フェニックスということで伊藤選手に続き、私も自己紹介させていただきます!

同期の伊藤選手との一枚

私は、寒ブリ、ホタルイカ、白エビなど海の幸がとても豊富でおいしい富山県氷見市出身です。氷見市は毎年、春の全国中学生ハンドボール選手権(春中)が開催されるなどハンドボールが盛んな地域です。

趣味はホラー映画を観ることです。
最初は苦手だったのですが、意味が分かるととても深い物語などもあってハマっています。(怖くて1人では観られませんが笑)
他には綺麗な景色を観たり、写真を撮ったりすることも好きです。
特に地元の海がとても大好きで、帰った時は必ずといっていいほど立ち寄ります。その景色を観ると、自分の原点を思い出し、今の自分を見つめ直すことができます。
面白いホラー映画や絶景スポットがあれば、ぜひ教えてください!

地元・富山のお気に入りスポット

私がハンドボールを始めたきっかけは、地元で開催されていた春中を友人に誘われて観に行ったことです!ハンドボールの町で育った私ですが、小学校の頃はなんとバレーボールをしていました。県大会で優勝し、全国大会に出場するレベルでしたが、春中でハンドボールに魅了され、ハンドボールってかっこ良いな~!と思った頃にはもうハンドボール部に入部していました笑
こうして氷見南部中学校から高岡向陵高校、日本体育大学とずっとハンドボールをしています。

縁あってハンドボールを始めた中学生の頃から憧れていた大同特殊鋼フェニックスの一員になることができ、とても感動しています!
フェニックスには地引監督をはじめ平子選手、藤江選手、石橋選手、杉本選手、友兼選手、康本選手といった同じ日本体育大学出身の偉大な先輩方がたくさんいるので、これからそんな先輩たちと一緒にハンドボールができることにも感激しています!
私はまだ日本一を経験したことがなく、中学校は3位、高校、大学は2位という結果が最高なので、フェニックスでは絶対日本一を獲ります!

私には好きな言葉があります。

それは「挑戦の先には成功か学びしかない」という言葉です。

これは高校の恩師の大房先生がよく使っていたもので、挑戦することに失敗はなく、挑戦することで学び、気づき、次のステップへ踏み出せるということです。
私自身、コロナウイルスの影響で色々なことが中止や延期になり、目標を見失いかけた時もありました。
しかし、この言葉を思い出し、1度自分の原点を考え、目標を確認し、挑戦する。
そして乗り超えた先には絶対良いことがあると信じて自主練習を継続しています!

早く試合に出て、みなさんに顔と名前を覚えていただけるように日々何事にも挑戦していきたいと思います!応援よろしくお願いします!

応援よろしくお願いします!
順位表
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