みなさん、こんにちは。No.1友兼 尚也です。
新型コロナウイルスの第二波は落ち着いてきたようにもみえますが、都市部を始め各地区で現在も感染者が報告されています。Go To トラベル キャンペーンを利用して家族、知人との旅行の際は、感染予防を徹底し、旅行を思う存分楽しみましょう!

さて、今回は「私の生い立ち」についてですが、以前、私の週刊フェニックスで、「私の原点」小学生の時のハンドボール人生について記載しましたので、今回は私の幼少期・高校・大学時の思い出深いことについて書きたいと思います。

私は1995年6月12日に友兼家の次男として生まれました。同じ誕生日の有名人でいうと、元プロ野球選手の松井秀喜選手、ジョージ・H・W・ブッシュ元アメリカ大統領と同じ日です。私は姉、兄よりも生まれた時の体重は重く、4000gありました。お腹の中にいた時は、母のお腹はパンパンで動くのも大変だったそうです。
小さい頃はやんちゃなことを多々していたらしく、幼稚園の先生や親戚など周りの人から口を揃えてやんちゃ坊主と言われていたそうです。親からはよく兄弟と比較され、「あなたは、石橋を叩かず渡るタイプ」と言われ、小さい頃は物事を考えずに行動し、よく失敗していました。

やんちゃ坊主な友兼

小学生の時は、ハンドボール以外の習い事もしており、習字、空手を約3年間習っていました。習字では賞を数回受賞した経験があり、段位は高校生以上から取得できるものなので、小学生の部ではないのですが、小学生の中にも階級があり特八までいきました(特別の特で階級は一~十まであります)。そのおかげか、自分ではある程度字はきれいだと思っています!また、県主催の優秀な成績を残している人が呼ばれる書初め大会に出場したこともあります。
空手では黒帯とまではいきませんでしたが、黒帯の二つ下の帯までは受け取ることができました。空手は、足を蹴り上げたりするので、ハンドボールGKの足上げセービングにも活かされているのかなと思っています。

高校時代は、北陸高校に在籍しており、Phenixメンバーである平子選手、藤江選手、杉本選手と同じ高校に通っていました。北陸高校はスポーツ校としても有名で、ハンドボール以外でも数多くの有名選手を輩出しています。ハンドボールでは先程紹介したPhenixメンバー、バスケットボールでは佐古賢一さん、五十嵐圭さんなどの有名人を輩出しています。また、2017年にプロ野球ドラフト1位指名で読売ジャイアンツに入団した、鍬原拓也さんも在籍していました。鍬原さんは私と同い年で隣のクラスでもありましたので、プチ自慢です。
高校時代の3年間は坊主生活をしており、髪の毛がモサモサな中学時から、一気に坊主にする時は、何度も躊躇したのを今でも覚えています。髪の毛がある状態から坊主にしたことがある方は経験があるかもしれませんが、一度髪型をモヒカンにしてから坊主にしたのを覚えています。
また、大会前には気合を入れるため、部員全員で髪を短くします。(元から坊主なので数ミリしか髪の毛を切りませんが……。笑)気合を入れて大会に臨んだおかげか、全国大会では上位に進出することができました。みなさんも気合を入れる際は、坊主にしてみるのも1つかもしれませんよ!笑

坊主時代

大学は、数多くの日本リーガーを輩出している日本体育大学に進み、4年間ものすごく濃い経験をさせてもらいました。私が下級生の頃から何度か試合に出させていただき、実績を積み、大学2年時には、インカレで優勝することができました。また、最優秀選手にも選ばれ、とてもうれしかったのを覚えています。日体大はインカレで優勝すると、部員全員で「エッサッサ」を披露するのですが、コートの中央でエッサッサを披露するのはとても気持ちよかったです。大学3、4年時は良い成績を残すことができず、悔しい思いをたくさんしました。その悔しさを晴らしたく、実業団でもプレーしたいと考えていたところ、元Phenixの高木さんからお誘いをいただき、Phenixのメンバーになることができました。チームの一員になれただけで満足するのではなく、日本リーグ・プレーオフ優勝に貢献できる一員になれるよう、日々精進していきます。

青いユニフォームを着ているのが友兼です

日本リーグも開幕当初は無観客試合が多かったですが、現在では制限がありながらも観客を動員することができています。ファンの皆様と一緒にハンドボールをできる喜びを感じながら、日本リーグ優勝に向けPhenixらしいハンドボールをしていきたいと思います。
皆様からの温かいご声援よろしくお願いいたします。

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