皆さん、こんにちは。
No.23 痛快、爽快、佐藤快です。

コロナウイルスの影響により、直近では全日本大学選手権(インカレ)も中止となり学生の皆様はとても寂しく、悔しい思いをされていると思います。ですが、決して今までやってきたことが無駄だったなんて思わないでください。
今まで培ってきた物は、みなさんの財産です。これからも共に戦ってきた仲間や恩師との出会いを大切に、心身ともに学んできたことを忘れず、未来に向かって頑張りましょう!

では、私の生い立ちについて書きたいと思います。

私は1996年11月13日に生まれました。
なんと、俳優の木村拓哉さんと同じ誕生日です!!笑

小さい頃はウルトラマンが大好きで、負けん気も強い上に短気だったので、友達と喧嘩をしてよく母に叱られていたそうです。母は、息子があまりにも短気なので優しい気持ちを分かってほしいとハイジを観させていたそうです。笑
その甲斐あってか今は少しマシになった気がします。笑

2歳のやんちゃな佐藤

小学生では習い事でハンドボールとサッカーをしていて、ハンドボールは東海ハンドボールスクールに所属していました。挨拶や礼儀など、人として大切なことをたくさん学ばせていただきました。

中学生でもハンドボールとサッカーをしようと思っていたのですが、中学に上がる前に名古屋グランパスの試験を受けてみたところ…なんと合格していました!しかも、ゴールキーパーです。
チーム名をもう一度言います。名古屋グランパスです!!笑
なぜ受かったのか正直わかりませんでしたが、その時 私は確信しました。僕はもってると。笑

中学校の3年間はサッカーに専念しました。チームに入れたことは良かったですが、シュートも早くてみんな上手で、本当についていくのが大変でした。ゴールキックもコートの4分の1しか飛ばなかったので、チームメイトにはたくさん迷惑をかけたのを思い出します。
ですが、中学2年生の頃には、全国2位になることが出来たので悔しさもありましたが、僕でもここまでこれるのかと感動しました。(DFが上手すぎてシュートがほとんど飛んできませんでした笑)スペイン遠征でビジャレアルと戦うなど、良い環境で強い仲間と勝負の世界の厳しさと楽しさを実感できました。
当時のチームメイトには現役Jリーガーもいます!

でも、高校のカテゴリーに上がるとき「どうしてもハンドボールがやりたいです」と気持ちを伝え、コーチと何度も面談を重ねたのち、頑張れと送り出してくれました。ここで僕はサッカーをやめ、ハンドボールの道を選びました。

名古屋グランパス時代(2列目1番左)

高校は縁があって長崎県の瓊浦高校に進学しました。そこで、恩師である末岡先生(大同特殊鋼OB)からハンドボールを学びました。最初は3年のブランクもあり、ついていくのがやっとでした。でも、末岡先生は将来を見据え個人に合わせた指導をしてくださるので、DFや1対1など、自分にできることをたくさん増やしていただきました。
また、長崎の地元国体に出場できたことも貴重な経験となりました。

高校時代

大学は父が監督をやっている大同大学に進学しました。実は、日体大にも行きたかったので、康本選手と同じチームで小澤選手とは関東リーグで戦っていたかもしれませんね。笑
それも絶対楽しかったと思いますが、私は大同大学を選んで本当に良かったと思っています。
怪我でプレーをすることがあまり多くはなかったですが、裏方の大切さや応援する側の気持ちなど、チームスポーツの中で最も大切な部分をとても勉強できたからです。また、4年生の春リーグでは、私がキャプテンとして監督である父を胴上げできたことがこれまでの人生で1番幸せな時間でした。

色々な方が支えてくださったからこそ、私は今、憧れの大同特殊鋼でハンドボールができています。今ある幸せを当たり前と思わず、今後も一生懸命頑張りたいと思います。

今シーズンも応援をよろしくお願い致します!

順位表
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