みなさん、こんにちは!
大同特殊鋼フェニックスNo.20の東江です!
最近は、コロナ感染者が急増していますね。手洗い・うがい等、自分自身で対策できることは徹底して、この状況を乗り越えていきましょう!

さて、Twitterでみなさんに選手への質問を募集しましたが、週刊フェニックスの新企画として、みなさんからいただいたご質問にお答していきます。まず、たくさんのご質問をいただきありがとうございました!私宛にいくつかご質問いただきましたが、その中から3つをセレクトしてお答えします。

まず、1つめの質問は……
Q1.普段、オフの日はどんな生活を送っていますか?
A. 普段は、オフの前日にチームメイトや友人とご飯を食べながらお酒を飲んだりして、ハンドボールについて熱く語り合ったり、その他のジャンルの会話(他のスポーツの話や恋愛・結婚のお話も?!)をたくさんしたりして、楽しく過ごしています。笑
ここ最近は、コロナの影響で友人となかなか会えていませんが、リモートでコミュニケーションを取っています。また、最近ゴルフを始めたので、打ちっ放しに行ったりコースを回ったり、違うスポーツに触れてリフレッシュをしています。ちなみに、自己ベストは恥ずかしながら112。誰か、私にゴルフを教えてください。お願いします!

最近始めたゴルフ
恋愛トーク中!?

続いての質問は……
Q2.好きな女性のタイプは?
A. 好きな女性のタイプは、芸能人で例えると、新木優子さん!カッコ良いけどニコニコした笑顔がとても可愛いらしくて、いつ見ても癒されます。笑
また、性格?でいうと、一緒にいて落ち着く人や楽しんでくれる人、周りの人から愛されている人が良いですね!あと、私は生粋の末っ子気質でマイペースなので、リードしてくれる人がありがたいです……。

そして、最後の質問は……
Q3.ハンドボールをしていなければ、何のスポーツをしていたか?
A. 野球をしていたと思います。私には、琉球コラソンでキャプテンをしている4つ上の兄がいて、兄は最初はハンドボールではなくて野球をしていました。兄はケガをして野球を辞めて、その後すぐにハンドボール部に入部しましたが、そのまま野球を続けていたら私も野球部に入部していたかもしれませんね。もし、野球をしていたら……、右投げ左打ちの1番センターかピッチャーの2択ですね!そして、プロ野球選手をめざして頑張っていたと思います。笑
プロ野球選手っていうのは「いくつになっても夢があるよなぁ」って思いますが、今ハンドボールを全力で頑張っている子供たちに夢を与えられるように、「東江選手みたいになりたい」って言ってくれる子ども達が1人でも多く現れるように、これからも頑張ります!

応援よろしくお願いします!

以上、これにて東江優斗への質問コーナーを終了します。質問してくださったみなさん、ありがとうございました!他にもたくさんのご質問をいただいていたのですが、また次の機会にお答えできればと思います。

また次回の週フェニもお楽しみに〜♪

※来週12月1日の週刊フェニックスは日本選手権のため延期し、次回の掲載は12月8日になります。よろしくお願いします。

みなさん、こんにちは!
一度、収束の兆しが見えていた新型コロナウイルスですが、再び流行し始め、外出自粛要請や暗いニュースが聞こえてきます。季節も変わり、インフルエンザや体調を崩しやすい季節になりましたので、より一層感染予防に努めましょう!

現在、日本リーグの最中である大同特殊鋼フェニックスも感染予防に細心の注意を払い、各地でリーグ戦を戦っています。しかしながら、ファンのみなさまとの交流ができない状況が続いています。

そんな中で、少しでもファンのみなさまとコミュニケーションを取りたいと思い、今回、SNS上でフェニックスの選手に対する質問を募集させていただきました。短い期間ではありましたが、たくさんのご質問ありがとうございました。すべてのご質問にお答えすることは難しいと思いますが、次回11月24日(火)の週刊フェニックスからお答えしていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。

ファンのみなさまと交流できる日を楽しみにしています。フェニックス一同、ハンドボールで明るいニュースを届けられるよう頑張りますので、一緒に乗り越えていきましょう!

みなさん、こんにちは!No.24杉本です。
今回の週刊フェニックスでは、私の生い立ちを紹介します。

私は1992年の大晦日に、愛知県名古屋市で生まれました。幼い頃の記憶はありませんが、あまり泣くことのないおとなしい性格だったようです。

幼少期の杉本

 
小学生時代は、放課後に「遊戯王カード」やテレビゲームで遊ぶインドア寄りの少年でした。しかし、小学4年生の頃に少年野球チームに入団し、生活が一変しました。左投げだったこともあり、入団後すぐにピッチャーに抜擢され、野球に没頭していきました。当時から小柄な私は、フルスイングをしても外野まで打球を飛ばすことができず、ヒットを打った記憶がほとんどありません。エースで4番、投打で存在感を示す野球少年に一度は憧れましたが、少年野球から9番ピッチャーで、早々に打撃を諦めていたことを覚えています。
そんな私のユニフォームは、泥だらけのチームメイトとは対照的に“まっさら”な状態が保たれており、洗濯の負担を減らす母親想いの野球少年でした。

小学校時代

私のハンドボール人生は汐路中学校でスタートしました。中学校時代を振り返ると、2年生秋の新チームが始動した時期がとても印象に残っています。その時期は、汐路中学校の顧問がJOCジュニアオリンピックカップに向けて結成される愛知県選抜のスタッフを兼務していたこともあり、1歳年上の学年で構成されていた愛知県選抜と合同で練習する機会が頻繁にありました。ハンドボール歴2年の私とは別次元のプレーで魅せるフェニックスファミリーの杉山選手と初対面し、衝撃を受けたことを覚えています。このような刺激的な時間の中でプレーを磨き、少しずつ自分に自信が持てるようになり、ハンドボールに対する姿勢が変化していきました。

その後、無事に義務教育を修了した私は福井県にある北陸高校へ進学し、指導者やチームメイトに恵まれて在籍中に3度の日本一を経験することができました。高校時代に厳しい練習をした記憶はあまりありませんが、週末は県外遠征が多く、全国の強豪校と練習試合を繰り返していました。このように練習の成果をアウトプットできる恵まれた環境で経験を重ね、チームが成熟していったことを覚えています。また、個人としては高校2年生と3年生の夏にU-19の日本代表に選出されたことで、当時から憧れの先輩だった平子選手や藤江選手と同じように、大学でもトップレベルでハンドボールを続けていくことを思い描くようになりました。

高校卒業後は大学でも日本一になることを目標に、日本体育大学に進学しました。大学ではレベルの高い選手に囲まれながら厳しい練習を重ねて、プレーの幅を広げることができました。ハンドボール以外では教育実習で母校の教壇に立ち、初授業で板書に苦戦しながら、豪快に授業時間を余らせたことが懐かしい思い出です。
 
以上が私の生い立ちとなります。
今回、週刊フェニックスの原稿作成をする時間は、これまでの人生を振り返る貴重な時間となりました。今年で28歳になりますが、地元のチームで大好きなハンドボールができる環境に感謝しながら、ケガで離脱した昨シーズンの分もチームに貢献します。

最後は、大学時代にU-22の東アジア選手権で韓国を訪れたときに撮影した、東江選手との懐かしい写真でお別れです。こんな私たちもアラサーを迎えています……。 

大学時代

フェニックス選手達の「生い立ち」シリーズは私で終了となります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。今後とも、フェニックスの応援をよろしくお願いします。

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