みなさん、こんにちは!大同特殊鋼フェニックスNo.20東江です!
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための自粛期間が続き、ストレスの溜まる日々を過ごしていると思います。1日でも早く元通りの暮らしができるよう、みんなでこの状況を乗り越えていきましょう!

さて、今回の週刊フェニックスから各選手が【自分の生い立ち】をテーマに書かせていただきます。
その第1弾を飾らせていただくのが私、東江雄斗でございます。よろしくお願いします。

私は1993年7月6日に東江家の次男として生まれました。
両親がハンドボール選手だったこともあり、生後3ケ月で飛行機に乗り両親の遠征に連れていかれたそうです。(本当かどうかはわかりません笑)
幼い頃は、祖父母の家でご飯を食べて兄と楽しく過ごしたり、両親が練習する体育館に連れて行ってもらい、チームメイトの方に遊んでもらったりしていました。疲れたらコートの横でボールの弾む音やフェイントを切る音を聞きながら気持ちよく寝ていた記憶があります。(笑)

体育館にいる東江兄弟

小学校に入学すると、先に兄がハンドボール部に所属していたので私もすぐに入部したいとお願いしました。当時は4年生以上じゃないと入部できなかったみたいですが、「太輝の弟だから」という理由で特別に1年生から入部することができました!兄に大変感謝しております。(笑)
ここからハンドボール一筋かというと、実はそうではなかったんです。ハンドボール以外にもスイミングや書道、学習塾といった習い事に通っていました!
特にスイミングでは通い始めて3ケ月ほどで選手コースに昇格し、4泳法(クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ)でバリバリ泳いでいましたが、ハンドボールの練習に出られなくなるのが嫌で、それらの習い事は2年生に上がってすぐに辞めてしまいました。(笑)

そこからはハンドボール一筋で突っ走るのですが、足を捻れば骨折、シュートを打てば肋骨を骨折と、計8回も骨折しました……(笑)骨折ばかりの小中学生時代でしたが、小学生の時にはハンドボールの楽しさを、中学では両親にハンドボールの基礎や技術・戦術を学びました。
私が中学3年生の時のJOCジュニアオリンピック大会では両親はチームスタッフ、私はキャプテンとして出場し、親子で優勝の瞬間を味わいました。優勝した瞬間は監督と選手の立場ではなく、「お父さん、お母さん、やったね!!」と家族の立場で喜んだ記憶があります。

JOC優勝

高校は興南高校に進学し、1年生から試合に出させてもらい、夏のインターハイで優勝を経験しました。
高校時代の思い出は特に多いです。沖縄の夏に耐えきれず、熱中症に毎年なっていました(笑)
3年生の時のインターハイ1週間前にも熱中症で体調を崩して入院してしまい、なんとか退院はしましたが、実力を発揮できないままベスト8で敗退し、すごく悔しい思いをしました。
この悔しさを国体で晴らしてやると意気込み、山口国体で優勝し、インターハイの悔しさを晴らすことができたことは忘れられません。

そして、その後は進路のことですごく悩みました。
母や兄、高校の恩師である黒島先生の母校である日体大か、早稲田大のどちらに進学するのか、すごく悩んだ末に「大学リーグの日体大VS.早稲田大で勝利した大学に進学しよう!」と、よくわからない贅沢な決め方で、勝利した早稲田大学への進学を決めました(笑)

大学ではハンドボールはもちろん、社会というのも教わりました。
また、昔からですが私は本当に人に恵まれていたなと思います。
日頃より早稲田大学ハンドボール部を支援してくださるOBの方々や日本一、いや世界一ハンドボールに対して熱い大城章さん(現ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング監督)。魅力ある先輩方はもちろん、ライバル校や一般入試で合格してきた同期、高校では甲子園に出場しバリバリ活躍していたけど、大学からハンドボールを始め、インカレでもしっかり活躍した付属校出身の同期など、個性豊かなメンバーに出会いました。
4年生のインカレ決勝では、入学をお断りした日体大に負けてしまいましたが、ハンドボールに対して思いが強いメンバーに恵まれ、ハンドボールと私生活の両面で充実した生活を送ることができました!

充実した大学時代

そして当時フェニックスの監督だったハンドボール界のスーパースター末松誠さんから熱烈なオファーをいただき、「ここなら自分をめちゃくちゃ成長させてくれる」と思い、伝統ある大同特殊鋼に入団しました。そこで私の憧れである元韓国代表で世界のベストセブンにも選出されたペク・ウォンチョルさんの背番号20番を受け継ぎ、王座奪還に向け、日々努力しています。

以上、長々とまとまりなく自分の生い立ちについて書きましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
早くみなさまと会場でお会いし、フェニックスのハンドボールでhappyにさせたい気持ちでいっぱいです!
また会場で元気にお会いできるよう、今を頑張りましょう!!

今年度、大同特殊鋼に入社しました、新人のNo.9中田凌河(なかだ りょうが)です。
新型コロナウイルスの影響で我慢することや不安なことがたくさんあるとは思いますが、このような時期だからこそ自分を見つめ直し、目標に向かって1日1日を乗り越えていきましょう!

さて、今回初めての週刊フェニックスということで伊藤選手に続き、私も自己紹介させていただきます!

同期の伊藤選手との一枚

私は、寒ブリ、ホタルイカ、白エビなど海の幸がとても豊富でおいしい富山県氷見市出身です。氷見市は毎年、春の全国中学生ハンドボール選手権(春中)が開催されるなどハンドボールが盛んな地域です。

趣味はホラー映画を観ることです。
最初は苦手だったのですが、意味が分かるととても深い物語などもあってハマっています。(怖くて1人では観られませんが笑)
他には綺麗な景色を観たり、写真を撮ったりすることも好きです。
特に地元の海がとても大好きで、帰った時は必ずといっていいほど立ち寄ります。その景色を観ると、自分の原点を思い出し、今の自分を見つめ直すことができます。
面白いホラー映画や絶景スポットがあれば、ぜひ教えてください!

地元・富山のお気に入りスポット

私がハンドボールを始めたきっかけは、地元で開催されていた春中を友人に誘われて観に行ったことです!ハンドボールの町で育った私ですが、小学校の頃はなんとバレーボールをしていました。県大会で優勝し、全国大会に出場するレベルでしたが、春中でハンドボールに魅了され、ハンドボールってかっこ良いな~!と思った頃にはもうハンドボール部に入部していました笑
こうして氷見南部中学校から高岡向陵高校、日本体育大学とずっとハンドボールをしています。

縁あってハンドボールを始めた中学生の頃から憧れていた大同特殊鋼フェニックスの一員になることができ、とても感動しています!
フェニックスには地引監督をはじめ平子選手、藤江選手、石橋選手、杉本選手、友兼選手、康本選手といった同じ日本体育大学出身の偉大な先輩方がたくさんいるので、これからそんな先輩たちと一緒にハンドボールができることにも感激しています!
私はまだ日本一を経験したことがなく、中学校は3位、高校、大学は2位という結果が最高なので、フェニックスでは絶対日本一を獲ります!

私には好きな言葉があります。

それは「挑戦の先には成功か学びしかない」という言葉です。

これは高校の恩師の大房先生がよく使っていたもので、挑戦することに失敗はなく、挑戦することで学び、気づき、次のステップへ踏み出せるということです。
私自身、コロナウイルスの影響で色々なことが中止や延期になり、目標を見失いかけた時もありました。
しかし、この言葉を思い出し、1度自分の原点を考え、目標を確認し、挑戦する。
そして乗り超えた先には絶対良いことがあると信じて自主練習を継続しています!

早く試合に出て、みなさんに顔と名前を覚えていただけるように日々何事にも挑戦していきたいと思います!応援よろしくお願いします!

応援よろしくお願いします!

みなさん、こんにちは!
今年度から大同特殊鋼フェニックスの一員となった新人のNo.3伊藤聖哉(いとうせいや)です。
世間では新型コロナウイルスのニュースばかりで不安な方も多いと思いますが、私は社会人1年目ということを忘れず、気持ちを新たに全力で毎日を送っています!

伊藤です!(右は同期の中田選手)

さて、今回が初めての週刊フェニックスということで自己紹介をさせていただきます。
私はNo.11平子選手と同じく三重県出身で、菰野町という田舎で高校生まで過ごし、ハンドボールを始めるまでは、陸上競技と日本拳法という武道をやっていました。
趣味は映画鑑賞(洋画メイン)とスポーツ観戦。特技はバドミントンです!
好きな食べ物は基本的に何でも好き(笑)最近は馬肉にハマっているので、新型コロナが落ち着いたら食べにいきたいです。美味しい馬肉料理の店をご存じの方は教えてください!

田舎風景と愛犬

陸上競技をしていた頃はいろんな種目をやっていましたが、特に私は“跳躍”種目が好きだったので、いつも走り幅跳びか走り高跳びの2種目を中心に練習をしていました。
小さい頃から暇さえあれば、跳んで、跳んで、跳びまわっていたおかげで、ハンドボールに必要な跳躍力を得ることができました。
試合では私のジャンプシュートにご注目ください!

次に日本拳法ですが、マイナーでわからない人が多いと思うのでどんな競技なのかを少しだけ説明します。
防具とグローブを着用し、打撃・寝技・投げ技を使って勝敗を決める競技武道です。
全国大会にも出るぐらい本気でやっていたのですが、最終的には硬い柔道着と肌がこすれる感じが嫌すぎてやめました(笑)

そんな私がハンドボールを始めたきっかけは、兄に勝ちたかったからです。
二人とも日本拳法をやっていたのですが、兄が県で1位になったときに私は2位。
団体戦には県で2チームを編成して全国大会へ出場するのですが、その時も兄が1軍で私が2軍。そんな悔しい思いをしているうちに、兄がハンドボールにシフトチェンジしました。
そこで「次は勝つ!」と追いかけて私もハンドボールを始めました(笑)

小・中・高と兄と同じ学校に入ってハンドボールをしましたが、最初は兄に「勝つ」ために始めたハンドボールも、次第に「楽しい」から続けているようなりました。
高校は工業高校だったため、約9割の生徒が卒業後に就職します。
私も就職を真剣に考えた時期もありましたが、好きなこと、楽しいことを追求したいと思い、大学でもハンドボールを続けることにしました。
筑波大学に入った理由はいろいろありますが、一番は日本一を経験したかったからです。
私の予定では2年~4年生で試合に出場し、全日本インカレで3連覇する予定でしたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。
これまでの悔しさを糧に、4年生で全日本インカレを優勝し、日本一になれて正直ホッとしました。
決勝戦で同期の中田選手と対戦して、勝ったというのも嬉しさ倍増でした(笑)

同期の中田選手と!

楽しいハンドボールを続けられることに感謝して、フェニックスの勝利に貢献できる選手になります!
そのために、まずは何事にも粉骨砕身の気持ちで頑張りますので、みなさん応援をよろしくお願いします!

応援してください!
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