杉本 翔の記事が13件見つかりました

みなさん、こんにちは!No.24杉本です。
今回の週刊フェニックスでは、私の生い立ちを紹介します。

私は1992年の大晦日に、愛知県名古屋市で生まれました。幼い頃の記憶はありませんが、あまり泣くことのないおとなしい性格だったようです。

幼少期の杉本

 
小学生時代は、放課後に「遊戯王カード」やテレビゲームで遊ぶインドア寄りの少年でした。しかし、小学4年生の頃に少年野球チームに入団し、生活が一変しました。左投げだったこともあり、入団後すぐにピッチャーに抜擢され、野球に没頭していきました。当時から小柄な私は、フルスイングをしても外野まで打球を飛ばすことができず、ヒットを打った記憶がほとんどありません。エースで4番、投打で存在感を示す野球少年に一度は憧れましたが、少年野球から9番ピッチャーで、早々に打撃を諦めていたことを覚えています。
そんな私のユニフォームは、泥だらけのチームメイトとは対照的に“まっさら”な状態が保たれており、洗濯の負担を減らす母親想いの野球少年でした。

小学校時代

私のハンドボール人生は汐路中学校でスタートしました。中学校時代を振り返ると、2年生秋の新チームが始動した時期がとても印象に残っています。その時期は、汐路中学校の顧問がJOCジュニアオリンピックカップに向けて結成される愛知県選抜のスタッフを兼務していたこともあり、1歳年上の学年で構成されていた愛知県選抜と合同で練習する機会が頻繁にありました。ハンドボール歴2年の私とは別次元のプレーで魅せるフェニックスファミリーの杉山選手と初対面し、衝撃を受けたことを覚えています。このような刺激的な時間の中でプレーを磨き、少しずつ自分に自信が持てるようになり、ハンドボールに対する姿勢が変化していきました。

その後、無事に義務教育を修了した私は福井県にある北陸高校へ進学し、指導者やチームメイトに恵まれて在籍中に3度の日本一を経験することができました。高校時代に厳しい練習をした記憶はあまりありませんが、週末は県外遠征が多く、全国の強豪校と練習試合を繰り返していました。このように練習の成果をアウトプットできる恵まれた環境で経験を重ね、チームが成熟していったことを覚えています。また、個人としては高校2年生と3年生の夏にU-19の日本代表に選出されたことで、当時から憧れの先輩だった平子選手や藤江選手と同じように、大学でもトップレベルでハンドボールを続けていくことを思い描くようになりました。

高校卒業後は大学でも日本一になることを目標に、日本体育大学に進学しました。大学ではレベルの高い選手に囲まれながら厳しい練習を重ねて、プレーの幅を広げることができました。ハンドボール以外では教育実習で母校の教壇に立ち、初授業で板書に苦戦しながら、豪快に授業時間を余らせたことが懐かしい思い出です。
 
以上が私の生い立ちとなります。
今回、週刊フェニックスの原稿作成をする時間は、これまでの人生を振り返る貴重な時間となりました。今年で28歳になりますが、地元のチームで大好きなハンドボールができる環境に感謝しながら、ケガで離脱した昨シーズンの分もチームに貢献します。

最後は、大学時代にU-22の東アジア選手権で韓国を訪れたときに撮影した、東江選手との懐かしい写真でお別れです。こんな私たちもアラサーを迎えています……。 

大学時代

フェニックス選手達の「生い立ち」シリーズは私で終了となります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。今後とも、フェニックスの応援をよろしくお願いします。

みなさん、こんにちは。No.24杉本です。
新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大しており、危機的な状況にありますが、フェニックスのメンバーは無事に毎日を過ごせています。
今後も油断せず感染予防に努めていきたいと思います。

さて、今回の週刊フェニックスでは、ある週末の出来事を綴りたいと思います。 
 
私と小澤選手は昨年6月から8月までの2ヶ月間、同じ部署に所属していました。
私が新入社員から4年間過ごした部署に後任として小澤選手が迎えられ、仮配属期間の2ヶ月を同じ部署で過ごした形です。
大同特殊鋼では、新入社員に対して先輩社員がマンツーマンでOJT教育(業務を通した教育)などを行うブラザー制度を実践しており、私が小澤選手のブラザーという関係でした。 
当時を振り返ってみると、朝の通勤から昼休み、夕方のトレーニングまで、ほとんどの行動を共にしていたと思います。

小澤選手オフショット

そんなある休日、ゲストを招いて小澤選手と外食に出掛けようということになりました。
そのゲストとは、以前に同じ部署に所属していた上司で私たちブラザーの親分的な存在の方です。
急なお誘いでしたが、親分は休日のルーティーンである遊技場への出勤後に駆けつけてくれました。
私たちは少しばかり浮かない親分の表情から遊技場での結果を悟りましたが、久しぶりの集合だったので会話は弾み、有意義な時間を過ごすことができました。

食事後の1枚(最近の写真ではありません)

親分は、これまでに私と小澤選手以外にもフェニックスのメンバーを部下に抱えた経験があり、威圧感のある容姿とは裏腹に、シーズン中は試合結果を欠かさずチェックし、メールを送ってくれるマメな一面があります。
今後、私自身が会社でどのようなキャリアを形成していくか分かりませんが、親分のように年齢を問わず、良好な人間関係を築ける上司になれればと思います。

最後に、ハンドボールについて20年度は新人2名が加入し、私自身としては6年目のシーズンを迎えます。 
最近は暗い話題が多く、気持ちも沈んでしまいますが、これまで通りみなさんの前で思い切りハンドボールができる日を待ち侘びてトレーニングに励みたいと思います。
今後も応援よろしくお願いします。

応援よろしくお願いします

みなさん、こんにちは。先日、プロ野球のドラフト会議をテレビで観ていて、ふと季節の流れを感じたNo.24杉本です。すっかり肌寒い気候となりましたが、健康に留意して秋を楽しみましょう。

さて、今回は「私の心強い味方」についてご紹介します。
私は今年5月に足関節内果骨折という怪我を負いました。私自身、手術を伴う大きな怪我は初めての経験だった為、少し戸惑いました。
この怪我はハンドボールのトレーニングで突発的に起こった怪我ではなく、動作の歪みから局所的にストレスが掛かり続けたことが原因で起こった怪我です。
現在も治療を続けていますが、復帰に向けて骨折した部位の治療以外にも、根本的要因となったストレスのかかる身体の動きを是正しなければなりません。

今回の怪我を受けて、私はトレーナーからオリジナルのインソール製作を勧めていただきました。インソールを簡単に説明すると、靴の中敷きに凹凸を付けて、身体の動きに変化をもたらすものです。

今回、私が製作してもらった“入谷式”インソールはとても秀逸な製作方法でした。単純に足を採型して作成するものではなく、身体の姿勢やジョギングのフォームなどを細かくチェックしながら凹凸を微調整し、製作していきます。微調整を繰り返す中で身体の動きがスムーズになる過程を体感することができ、完成品は目的とした身体の動きを誘導してくれる完璧なインソールとなりました。
 

このスペースで姿勢やフォームを細かくチェックします!
作成したインソール!

アスリートに限らず、慢性的な身体の痛みが気になる方は、自分専用のインソールを製作し、秋の行楽シーズンにスポーツを楽しんでみてはいかがでしょうか。

インソールについて熱く語った週フェニとなってしまいましたが、怪我を完治させて復帰した暁にはインソールの恩恵を受けた新たなる杉本をみなさんにお見せできるよう頑張っていきますので、楽しみに待っていてください!

最後になりますが、一時的に中断されていた日本リーグが再開しました。現在、フェニックスはリーグ前半戦を振り返り、後半戦に向けたトレーニングに励んでいます。リーグ後半戦もフェニックスのプレーにご注目ください。
  

応援よろしくお願いします!
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