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No.638 石橋日記

2021年6月29日 | 5 石橋 龍

みなさん、こんにちは!No.5の石橋です。

早速ですが、一昨日6月27日に30歳の誕生日を迎えました!まだ私に「おめでとう」の言葉を伝えられていない方、応援メッセージからお祝いのメッセージをどしどしお待ちしております(笑)。早いもので、産声を上げてからもう30年の月日が経ってしまいました。子どもの頃に思い描いていた30歳はもっと立派な大人だった気がします。言動に責任を持てるように、もっと頑張らないといけないなと改めて感じました。感じるだけでなく、実行できるように今年も頑張ります!みなさんの中に“今年は何か変わろう”と思っている方がいましたら、私と一緒に一歩を踏み出しましょう!

さて、今回の週刊フェニックスは「今さらMARVEL作品にハマった石橋」、「傷すら愛おしい石橋」について話していきたいと思います。

まずは「今さらMARVEL作品にハマった石橋」です。

先日、寮で後輩たちと雑談をしていると、小林アナリストと佐藤選手が熱くアベンジャーズについて語っていました。というのも、小林アナリストはアベンジャーズをこよなく愛し、事あるごとに「A」のロゴが入ったTシャツを着ています。そこから会話は膨らみ、佐藤選手もなかなかのMARVEL好きということが判明。会話はヒートアップし、盛り上がる2人。そして置いていかれる石橋……。見かねた2人は石橋を自分たちの世界に引き込む方向にシフトチェンジしていきます。見る順番や面白いところなど、佐藤選手の熱意のあるプレゼンに心奪われ、MARVELシリーズを見ることを決意しました。

実際に見てみると本当に面白く、食わず嫌いをしていた自分が憎いくらいでした。まだすべては見終わっていないのですが、作品の至るところに他の作品と交わるエピソードが含まれていて見応えがあります。何より登場人物たちの男心をくすぐるカッコ良さが最高です!最初は見るのを渋っていた私ですが、今ではすべてを網羅すべくサブスクのディズニープラスにも登録してしまいました(笑)。こんなに面白いコンテンツを紹介してくれた小林アナリスト、佐藤選手にはとても感謝しています!

MARVEL最高!

続いては、「傷すら愛おしい石橋」です。

私は最近よく傷つけられます。誰に傷つけられるのか……。そうです。娘です。

以前、週刊フェニックスで紹介させていただいてから早いもので娘ももう1歳になりましたが、最近は歩いたり、走ったり、日本語っぽい言葉をしゃべったり、爆笑したり、号泣したり……と大忙しです。

一緒に遊んでいる時は予測できない動きをするので、集中力が必要です。娘はスクワットのスピードが速いため、ふところにいる時は要注意で、何度も頭突きを顎に食らっては口内炎を作っています。リモコンを持つとまさに鬼に金棒で、躊躇なく顔面に金棒(?)を打ち込んでくる危険性があります(笑)。甘えるために近づいてきて寄りかかってきた時の裏拳はもはや防ぎようがありませんが、とってもかわいいので痛みも忘れてしまいます!また、ついついこちらから過剰にスキンシップすると、冷たくあしらわれ、心も傷つきます……(笑)。しかし、何度傷をつけられても家族と過ごす時間はとても楽しく、この時間をこれからも大切にしたいと思います。

裏拳直後です……。

最近はワクチン接種が進んでいる地域も出てきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大はまだ安心できる状況ではなく、思い切って外出することはできない日々が続いています。今回は私の最近の出来事をご紹介しましたが、お家時間が増えたからこそ感じられる喜びでもあったかなと考えています。変化する状況に暗くなる時もあるかもしれませんが、前向きに今を楽しんでいきましょう!

最後になりますが、フェニックスはチームのレベルアップを図るため日々鍛錬に励んでいます。強くて元気なフェニックスをみなさんにお見せできるよう頑張りますので、今後とも変わらぬご声援をよろしくお願いします!

応援よろしくお願いします。

みなさん、こんにちは!No.5の石橋です。
冬の寒さも本格的になり、乾燥する季節となってきましたね。室内と外の寒暖差や、のどの乾燥などで体調を崩しやすい季節でもありますので、手洗い・うがいやこまめな健康チェックを怠らずに、健康体で年末年始を迎えられるようにしましょうね!

さて、今回は私の回ということで、少しでも知っていただけるとうれしいなと思います。

Q1.普段、オフの日はどんな生活を送っていますか?
A. 私の休日は、基本的に2パターンです(コロナ前の話ですが)。まず、一つ目はオフの前日に、チームメイトと一緒にご飯やお酒を飲みながらハンドボールから仕事のことまでいろいろな話をして、盛り上がることです。盛り上がり過ぎることも度々……。そんな翌日は、全力で体力の回復に努めるのでほとんど行動しません。笑
もう一つのパターンは、朝から全力で行動するパターンです。モーニングに行って優雅な朝を過ごし、たまたま見ていたテレビやインスタグラムでおいしそうなお店があると、「今からここに行こう!」と家族ですぐに足を運びます。石橋家のフットワークは軽く、思い立ったらすぐ行動してしまいます。
しかし、最近はコロナによる外出自粛で、これらの2パターンもなかなかできない状況です。そんな中でも、私は今すごく幸せに休日を過ごしています。それはなぜかと言いますと、今年の春に長女が誕生したからです。最近は、毎日娘の笑顔を見てデレデレする日々を送っています。家族と過ごせる時間はかけがえがなく、もっとハンドも仕事も頑張らないといけない!と感じるようになりました。父親になった石橋の今後の活躍にご期待ください!

長女誕生しました!

家族ののろけ話はこの辺にして、2つ目の質問に移りたいと思います。

Q2.ハンドボールをしていなければ、何のスポーツをしていましたか?
A. はい、これは難しいですね。仮に違う人生を歩めるとしたら、スポーツはやっていないかも知れません。欲を言えば、音楽の世界に憧れます。自分が奏でた演奏などで人の心に感銘を与えることができたら、それはすばらしいことだと思います。スポーツでは自分のプレーやチームの一体感などで多くの方を勇気づけたり元気づけたりする力があり、それをめざして私も日々精進しています。もし違う人生を歩めるのであればスポーツではなく、音楽で同じように多くの人に力を与えられるような人生にチャレンジしてみたいです!

来世はミュージシャン!?

そんな私の夢物語はここまでとして、3つ目の質問に移ります。

Q3.自分の出身地のおすすめのスポットは?
A. 私は神奈川県出身で、神奈川県は多くの名所があります。みなさんご存じの横浜みなとみらいから、由緒ある鎌倉の鶴岡八幡宮、江の島や八景島シーパラダイスなど人が多く集まるスポットでいっぱいです。中でも私が一番おすすめなのは箱根です。多くの温泉はもちろんのことながら、大涌谷や芦ノ湖の遊覧船、ロープウェイでは絶景を楽しむことができます。また、箱根駅伝好きの人ならば、「ここ、往路のゴールだ!」「ここ、テレビの中継で走っているの見たことある!」といった楽しみ方もできると思います。心も身体も癒すことができるので、新型コロナウイルス感染拡大が落ち着いた際には、ぜひ旅行先に選んでみてくださいね!

以上で、私の質問コーナーは締めくくりたいと思います。
最後に、ハンドボールでは12月12日(土)に行われたジークスター東京戦に敗れてしまい、年内公式最終戦を勝利で飾ることができず、後味悪い締めくくりとなりました。この結果を真摯に受け止め、2月の日本リーグとプレーオフ優勝に向け、良い形で試合に入れるよう精進してまいります。今後とも、変わらぬご声援をよろしくお願いいたします!

応援よろしくお願いします!

みなさん、こんにちは。No.5の石橋です。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言は解除されましたが、まだまだ油断は禁物です。できる限りの予防に努めていきましょう!

さて、東江選手、池辺選手と続いている【自分の生い立ち】シリーズですが、3番手として私が書かせていただきます。
え、興味ないって……? そんなことは言わずに、ぜひ最後まで読んでみてください笑

私は石橋家の第2子で長男として1991年6月27日に誕生しました。
姉の影響もあり3歳のころからピアノを習わせてもらっていました。他にも水泳や体操など多くの習い事をさせてもらっていました。ピアノについて今はもう指が全然動かず、もっとまじめに練習をしていれば良かったと後悔しています……。

幼少期

小学校に入り、3年生の時に転校を経験しました。それを機に地域の少年野球のチームに入団し、そこからは野球三昧の日々でした。当時、強豪チームでキャプテンを務めていたので、中学校に入っても野球を続けると自他ともに思っていましたが、そんな矢先にハンドボールと出会いました。中学校に入学した当初、友人に誘われて軽い気持ちで部活見学会にいくと、一瞬にしてハンドボールの面白さに魅了されてしまいました。野球を辞めるかどうかを熟考して入部を決意したのを覚えています。当時は練習が厳しく2・3年生が集団でハンドボール部を辞めてしまったこともあり、すぐに試合に出て経験を積むことができました。最初は未経験者しかいないので負けてばかりでしたが、3年生になる頃には県大会を優勝するまでになりました。そこで収めた成績が評価され、進路が決まり、法政大学第二高等学校へ入学することとなります。

中学時代

法政二高では阿部直人先生指導のもと、毎日泥だらけになって「ALIVE」(チーム伝統のスローガン)していました。チームワークの大切さや、ポジティブな思考の持ち方、人財教育など、今でも教訓として私の人生に活きている大切なことを多く教わりました。強豪校なだけあり厳しい日々でしたが、大切な仲間とも出会うことができました。私が3年生の代では横浜創学館(同県の強豪校)にいつも負けていましたが、インターハイを決める最後の県大会では勝利を収めることができました。試合後にチーム全員で歌った校歌はとっても気持ちが良く、今でも最高の思い出として記憶に残っています。

高校時代の写真(左から3人目)

大学は大同特殊鋼にも多くのメンバーを輩出している日本体育大学へ進学しました。
ここで私は「受験」というものを初めて経験することになります。
高校で活躍してきた多くの選手は大学にはスポーツ推薦で入学します。フェニックスのメンバーもほとんどがそうだったと思います。しかし、私は推薦で入ることができず、高校の部活を引退した直後から猛勉強の日々が始まりました。この期間が人生で一番勉強をしていた期間なのではないかと思います。日体大は入試に実技の試験もあり、走るトレーニングなどにも取り組みました。
色々な方の支えもあり、晴れて日体大へ入学することができました。
日体大には、先輩にも同期にも有名で実力のある選手が多く、その人たちと一緒にプレーすることで勉強になることがたくさんありました。試合には2年生の時から出場できるようになり2年・3年とインカレ優勝を経験しました。
4年生の時にはインカレ3位という結果に終わってしまい、とても悔しい思いをしましたが、その悔しさもありハンドボールをもっと続けたいと思いました。
そんな時に、日体大の松井幸嗣先生から大同特殊鋼のことを聞き、縁あって同期の藤江選手とともに大同特殊鋼に入社することになりました。

以上が私の生い立ちから大同特殊鋼に入社を決めるまでになります。
長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

コロナウイルスがいち早く落ち着き、みなさんに会場で元気なフェニックスをお見せできるよう、日々一生懸命頑張っていきます!今後も応援よろしくお願いします!

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