伊藤 聖哉の記事が2件見つかりました

みなさん、こんにちは!No.3の伊藤聖哉です。

新入社員研修が終わり、配属先が決まって新しい環境での活動が始まりました。
少しずつ慣れてきましたが、まだまだ奮闘中の伊藤です。

さて、【自分の生い立ち】シリーズということで、私の生い立ちについて紹介します。
前回の私の週刊フェニックスでも紹介したのですが、私は三重県の菰野町という田舎で生まれ、小、中、高を三重県で過ごしました。

菰野町では「こもしか」というニホンカモシカをモチーフにした可愛いキャラクターが地域のPRをしてくれています。TwitterやYouTubeもやっているので、ぜひ見てみてください!そしてコロナが落ち着き、三重県に行く機会があれば菰野町に足を運んでみてください。ロープウェイから観る素晴らしい景色やキャンプ場などアウトドア好きな方にオススメです!

話を本題に戻して、私は小さい頃、ハンドボールだけでなく日本拳法や陸上、ちびっ子相撲など多種多様なスポーツをする運動好きな少年でした。ちびっ子相撲では優勝したこともあります。

ちびっ子相撲(投げている方です!)

押し出しはなく、ひたすら投げて、投げての投げ技で優勝していました。優勝しても賞品はイオンの商品券だったので、全然嬉しくなかったのを覚えています。母が喜んでいましたね!(笑)

日本拳法2位で悔しい顔(左から2番目)

日本拳法では、小学生の頃はずっと2位で悔しい思いをしていました。改めて子供の頃の写真を見ると思いのほか周りの子と体格差がありますね(笑)今だったら勝てるかも……。
フェニックスのメンバーには意外と武道経験者が多くびっくりしましたが、もしかしたら武道で鍛えられた身体の使い方や体幹の強さがハンドボールに生きているのかもしれませんね。

このように小学生の頃は色々なスポーツをやっていましたが、中学生に上がると同時にハンドボールに集中しようと、他の習い事はやめました。

中学は地元の菰野中学に進み、トヨタ車体の豊田選手とともにハンドボールの練習に励みました。高校も三重県にある四日市工業高校に進み、春の選抜大会では四日市工業高校で初の全国大会入賞を果たしました。

この頃からハンドボールを選んで良かったと思うようになりましたが、全国大会で優勝したことがなかったので大学進学を決意し、日本一を目指して筑波大学へと進みました。
最終学年でインカレを優勝した時の感動は言いあらわせないほどでした。
そして、あの感動をもう一度味わいたくて大同特殊鋼に入社し、フェニックスの一員になりました!

初心を忘れず頑張ります(小学生時代)

最後に、先日、日本リーグの試合日程が発表されましたが、再び新型コロナウイルスが流行の兆しを見せており、まだまだ不安なことが多いと思います。
そんな時だからこそ、自分たちのできる最大限のプレーをして、みなさんと感動を共有したいと思いますので、これからも応援をよろしくお願いいたします。

7月29日(水)から夏季休暇に入りますので、次回の週刊フェニックスは8月18日(火)に更新予定です。

みなさん、こんにちは!
今年度から大同特殊鋼フェニックスの一員となった新人のNo.3伊藤聖哉(いとうせいや)です。
世間では新型コロナウイルスのニュースばかりで不安な方も多いと思いますが、私は社会人1年目ということを忘れず、気持ちを新たに全力で毎日を送っています!

伊藤です!(右は同期の中田選手)

さて、今回が初めての週刊フェニックスということで自己紹介をさせていただきます。
私はNo.11平子選手と同じく三重県出身で、菰野町という田舎で高校生まで過ごし、ハンドボールを始めるまでは、陸上競技と日本拳法という武道をやっていました。
趣味は映画鑑賞(洋画メイン)とスポーツ観戦。特技はバドミントンです!
好きな食べ物は基本的に何でも好き(笑)最近は馬肉にハマっているので、新型コロナが落ち着いたら食べにいきたいです。美味しい馬肉料理の店をご存じの方は教えてください!

田舎風景と愛犬

陸上競技をしていた頃はいろんな種目をやっていましたが、特に私は“跳躍”種目が好きだったので、いつも走り幅跳びか走り高跳びの2種目を中心に練習をしていました。
小さい頃から暇さえあれば、跳んで、跳んで、跳びまわっていたおかげで、ハンドボールに必要な跳躍力を得ることができました。
試合では私のジャンプシュートにご注目ください!

次に日本拳法ですが、マイナーでわからない人が多いと思うのでどんな競技なのかを少しだけ説明します。
防具とグローブを着用し、打撃・寝技・投げ技を使って勝敗を決める競技武道です。
全国大会にも出るぐらい本気でやっていたのですが、最終的には硬い柔道着と肌がこすれる感じが嫌すぎてやめました(笑)

そんな私がハンドボールを始めたきっかけは、兄に勝ちたかったからです。
二人とも日本拳法をやっていたのですが、兄が県で1位になったときに私は2位。
団体戦には県で2チームを編成して全国大会へ出場するのですが、その時も兄が1軍で私が2軍。そんな悔しい思いをしているうちに、兄がハンドボールにシフトチェンジしました。
そこで「次は勝つ!」と追いかけて私もハンドボールを始めました(笑)

小・中・高と兄と同じ学校に入ってハンドボールをしましたが、最初は兄に「勝つ」ために始めたハンドボールも、次第に「楽しい」から続けているようなりました。
高校は工業高校だったため、約9割の生徒が卒業後に就職します。
私も就職を真剣に考えた時期もありましたが、好きなこと、楽しいことを追求したいと思い、大学でもハンドボールを続けることにしました。
筑波大学に入った理由はいろいろありますが、一番は日本一を経験したかったからです。
私の予定では2年~4年生で試合に出場し、全日本インカレで3連覇する予定でしたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。
これまでの悔しさを糧に、4年生で全日本インカレを優勝し、日本一になれて正直ホッとしました。
決勝戦で同期の中田選手と対戦して、勝ったというのも嬉しさ倍増でした(笑)

同期の中田選手と!

楽しいハンドボールを続けられることに感謝して、フェニックスの勝利に貢献できる選手になります!
そのために、まずは何事にも粉骨砕身の気持ちで頑張りますので、みなさん応援をよろしくお願いします!

応援してください!
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